レインマン
レインマンを観賞してきました。
難しい内容かなって思ったから、先に映画を観たんだけど、それがめちゃくちゃ良くて。久しぶりにテレビにかじりついて2時間観ちゃって。
ダスティン・ホフマン素晴らしすぎる。トム・クルーズかっこよすぎる。
大きな起伏はないけど、綺麗でさわやかな内容で、見終わった後にすっきりする素敵な映画だった。
からなのか、舞台版と映画版を比べてしまい、舞台だけに集中するのが難しかったー
映画は1人で見たからだけど、舞台は周りのお客さんの反応とかもあるから、なんとなく自閉症を面白おかしくしてる感が否めなくて。
でも、面白くすることが悪ではないんだよね。同情だけが正解ではない。
一晩明けて、ふっと思った。
ああ、これはチャーリーが愛を知る旅でもあったんだなってこと。
レイモンドにスポットが当てられることが多いけど、チャーリーも不遇の人生だったんだよね。愛に枯渇してる人生。
そんな愛に飢えてカラカラのチャーリーに、レイモンドの溢れる愛が注がれる。砂漠のように枯れてるチャーリーだから、ぐんぐんその愛を吸収できる。その結果、お兄さんを大事に思う気持ちが生まれたんだなって。
レイモンドは感情が分からないって言ってたけど、愛は知ってるんだろうね。
あの兄弟は、今後の人生、補い合って生きて行くんだろうな。家族として。
人形の家
ほんとうは、今すぐ他のお客さんの感想とか、ちゃんとした人の解説とかを読みたくて仕方ない。
だけど、自分の感受性を大事にしたいから、まずは自分の力で掘り下げて行きたい。
まず思ったのは、自分がノラだったらどういう選択をしたのかなってこと。
間違いなく夫の元にいて、そこで社会勉強をしていくと思う。安定した生活は確保したいし、誰かのモノになっているのは幸せだから。
この、根本の考えが違うからノラの気持ちを理解できないんだと思う。
私がノラに抱いたのは、贅沢、身勝手、そして、羨ましい。
ノラは確かに操り人形だったけど、常に誰かの1番ではあった。お父さんにしろ、夫にしろ。それが私には羨ましかったから、分からなくてもやもやして、もっともっと理解したいんだと思う。
ノラと私は正反対な人間だ。
お金持ちの家に生まれ、不自由なく生活して、いつも誰かに愛されて可愛がられて、そして自分の考えを持つことを許されない。
私は不自由はなかったし家族には愛されていると思うけど、誰かの1番になったことはないし、自分で考えないと生きていけない。
もしかしたら、ノラにとって私の生活は理想かもしれない。けど、私にとってノラの生活は理想だった。
夫に愛され、守られている生活が。
その頃の時代からしてみたら今の私の生活こそ贅沢で夢のようだろう。
でも、だからといってじゃあ大事に生きて行こう、とは思わない。私だってノラの生活が夢のよう。
なんかもう一歩
もう一歩踏み込みたいんだけど、ここで思考が止まってしまう
ちょっと違うこと考えてみよう
ヘルメルは、ヘルメルの全てでノラを愛していると思う。最後の、すまなかったの一言は、対等なパートナーに対しての言葉だった。
でも、もしあそこでノラが残ってたら、また同じことの繰り返しになるんだろうなっていうのは容易に想像できる。
ヘルメルにはヘルメルの、自分の教育が必要なんだろうな。
でもなんかヘルメルに共感しちゃうんだよなー
頑張ってたんだよ自分にできることを精一杯。ヘルメルだけの責任じゃないよ。でも確実にヘルメルの責任は大きい。
ああ、むずかしい。
こんな夫婦ざらにいるんだろうな
お互いの思ってることを言い合わず、支配と服従の関係。それで生活が苦しかったら支配されたくないけど、不自由なく暮らせるなら支配された方が良くない⁇だって楽じゃん。自分で考えなくても、全部指示してもらえるんでしょ⁇
ちがうちがう。
ごちゃごちゃ纏まらないなぁー
これは自分のいい癖であり悪い癖でもあるんだけど、感じたことを自分に還元しようと躍起になっちゃう。
上に書いたようなことを感じました。で終わってもいいのに、さらにもう一歩が欲しい。
でもその一歩進むための力がないんだよ〜
とりあえず。
心から観てよかったと思える舞台だった。アツヒロさん目当てで行ったけど、全然違うところに魅力を感じてる。きっかけよありがとう!!
今つまづいてるのは、今の自分はここまでのレベルってことなんだろうな。これから自分の感受性を守って育てていきたいと思う。
こんなに考えたのは久しぶり。映画を観てもここまで思考しないから、私は舞台が良いんだろうな。
まずは一歩目。
ひとり旅の終わり
2泊3日の京都ひとり旅が終わった。
結果、とても良い旅になった。
まず、ゲストハウスに恵まれたこと。
初めましての人が集まってわいわいしてて、その場に一緒にいられたことがすごく幸せだった。普段と全く違う空間にいることがすごく不思議で、すごく居心地が良かった。
そして今までずっと憧れていた京都の町家暮らし。2泊の疑似体験だけど、本当に本当に素敵で、移住したいとさえ思った。
次に、帰ってきてから寂しいと思っていること。
寂しさの原因は、もうこの先会えないであろう方達との別れか、それとも家に人がいないことか。
きっとどちらも正解だと思う。
この感情を抱けたことは、私にとって大きな収穫だ。基本的に人といるのが嫌いな性格にもかかわらず、人が近くにいないことを寂しいと感じる。普段味わうことのできない、素晴らしい感覚だと思う。
そして最後に、今まで周囲にいなかったタイプの方たちとお話しできたこと。
ワーホリに行く、仕事を辞めて京都に来た、海外から来てゲストハウスで働いている…
私の普段の生活の中では絶対に関わることのできない人たちだ。かっこいい。めちゃくちゃ憧れる。
そんな生き方もあるんだなって思えて、なんだか肩の荷がおりたような、色々挑戦してみたくなるような、ほっとして意欲的な気持ちになれた。
このひとり旅を通して、素の自分を発見できたような気がする。
私には、人との関わりが好きで、行きたいところやりたいことが沢山あって、周りの視線を気にしなくて、よく笑う、そんな素敵な側面がある。
今回見つけた自分を大事にしてあげたい。たまには会いに行って、解放してあげたい。
今回の出会いはまさに一期一会。
寂しいけど、だからこそ尊い時間になったんだと思う。
素敵な時間をくれた方々と、それを感じ取れた自分にお礼を言いたい。
HPの回復が追いつかない
ひとり旅2日目。
疲労が蓄積されてきてしまった。
朝までは良かったけど、GWの行列と人ごみにやられ、HPがごりごりに削られている。
このままぶらぶらしても良いことなさそうだから、とりあえず明日の新幹線を早めて帰ることにした。
こういうとき、ひとりだから新幹線も変更できるし、好きなだけカフェで疲労回復していても大丈夫。
だけど、ひとりだからこそ疲労回復が遅くなってしまう。やっぱりこういう時は誰かとおしゃべりがしたい。
これがひとり旅の良さなのかも。
気ままだけど、ちょっぴり寂しい。
人に会いたくなる、話したくなる。
このコーヒーを飲み終わったら、義務感からではなく純粋に楽しんでお土産を選ぼう。
しっくりこない
旅行がすき。
友達とか、家族とかと行く旅行はもちろんすきだけど、最近はひとり旅デビューを果たした。
旅行はすきだけど、なんかしっくりこなくて。しっくりくる旅行のしかたを探したくて、ひとりで旅に出ることにした。
観光地をがんがん回るのが合わない。
あくせくして、疲れて、さして感動もしなくて…
そういえば、今まで友達家族と行って満足した旅行は、目的が必ずあった。
温泉に入る、美味しいご飯を食べる、体験をする…とか。
たぶん、何かの目的を達成しないと満足出来ないんだと思う。目に見える成果が欲しいというか、感情だけじゃ物足りないというか。
だから、ひとり旅では必ず1日に1つ目的を入れてある。今日は西芳寺に行って、写経して写真撮って。
でも、なんかしっくり来ないんだよなー
ひとり旅で気に入ってるのは、
自由に行動できること
私のことを知ってる人が誰もいないこと
その土地に住んでる気分になれること
目的を達成するのもいいけど、ただ電車に乗ってぼーっとしたり、カフェでぼーっとしたり、そういうのがとてもすきだ。しっくりくる。
いつか自分のひとり旅スタイルを確立したいな
そのためにも色々やってみよう
あと、こういう風にアウトプットしていこう
苦手じゃなくなった日
わたしは、昔から夕方がきらいだ。
なんとなく寂しいような、取り残されたような気持ちになる。明日が来る恐怖なのか、今日が終わる焦燥感なのか。とにかく夕方が苦手で、4時の鐘なんて聞いた日にはだいぶ鬱になる。
余談だけど、認知者高齢者も夕方に徘徊や混乱する例が多く、これを夕暮れ症候群という。
それはまあ置いといて。
そんな話を元彼にしたことがあった。
わたし、夕方がきらいなんだよね。
そうしたら、なんと彼も同じ感覚になるという。
昔夕方に車乗ってて、このままブレーキ踏まないどこうかと思ったことあるわ。
この話に同意を得られることってほとんどなかったから、それはそれは嬉しかった。運命の相手なんじゃないかと自惚れたりして。
その後彼と遠距離になり、彼の住む大阪に遊びに行った時のこと。もうすぐお別れの夕方、電車から見えるビルの間に沈む夕日は信じられないくらい大きくて、眩しかった。
すごい夕日だね、落ち込んじゃいそう。
前に共感を得られたから、そんな言葉を口にした。彼もなんとなく同意してくれたような気がする。
彼と同じ感覚であること。
わたしはその時その感覚を優先したけど、実は違ったの。
ほんとうにほんとうに大きい夕日で
燃えるように輝いていて
周りを全部太陽の色に変えて
今までの人生の中でいちばん綺麗な夕日だった。感動するくらい綺麗な夕日だった。
あのとき見た夕日は、嫌いじゃない。
心から綺麗だと思える、焦燥感も恐怖も感じない、素晴らしい夕日だった。
あのとき、夕日綺麗だねって言えてたら。別れる結果は変わらないと思うけど、偽りじゃない本物の気持ちで彼と共感したかった。
今でも綺麗な夕焼け空を見ると思い出す。悲しいけど、少し後悔してるけど、苦手だった夕日がちょっとすきになった輝く思い出。
傾向を知る
調子の悪い日々が続いている。
以前からこの波の大きさについて気になってはいたが、そろそろ傾向を掴むべきだと思い、とりとめのない文章を書く。
もうすぐ27になるのに、自分の機嫌も取れないなんて情けないことだ。
そういえば今月の頭から漢方を辞めた。それが原因かもしれないので、残薬をしばらく飲んでみようと思う。
そういえば生理の終わりかけはいつも具合が良くない気がする。目眩がするほどの貧血ではないが、注意して経過を観察しようと思う。
少し前まで人生ハッピー野郎だったのが信じられないくらいお先真っ暗。生きていても意味がない、くらいに思っている。
このような波は以前からみられていることだった。今思えば、こんな情緒不安定で良く今まで生きてきたと思う。自分は自分なりに必死に生きてきたんだなぁ。
もしかしたら、今私に必要なのは生活の整理整頓かもしれない。
冬服を整理する。
シンクを磨く。
コンロを掃除する。
ピカピカの蛇口を見て少しだけ気分が上がった。
絶対に無理をしない、ほんの少しの掃除をしてみようと思う。